寒さの中、冬牡丹が花咲く季節となりました。西洋の薔薇に比肩する、東洋の牡丹。本来春の花である牡丹を真冬に開花させる冬牡丹は、江戸時代に生まれました。この句は、松尾芭蕉が初めての文学的な旅に出た「野ざらし紀行」の途中、故郷の寺につとめる住職の古益に招かれた際に詠まれたと言われています。
冬牡丹 千鳥よ 雪のほととぎす
冬牡丹が咲き、浜辺のほうから千鳥の声が聞こえる。「春の牡丹と冬の千鳥」という組み合わせは、「雪の中、夏のほととぎす」を聞くような風情がある。
本来、「春は鶯、夏はほととぎす、秋は雁、冬は千鳥」というのが常識であった世界で、ちぐはぐな季語を組み合わせているように感じるこの歌は、少し突飛で、技巧的に過ぎるのではないか、とも言われています。ただ、詠まれた時の背景をひもとくと、その印象は少し変わります。
芭蕉、古益の二人は師匠を同じくする同門の出で、この時芭蕉四十二歳、古益四十三歳。平均寿命が短かったこの時代、ふたりはすでに、いつ死ぬともわからないほどの年齢を重ねていました。芭蕉は、この旅の途中で、しゃれこうべを野ざらしにすることになるかもしれない、という覚悟を持ってのぞんでいました。
その旅路の途中、故郷で、恐らく古益が丹精して咲かせたであろう「冬牡丹」を見せてもらうというおもてなしを受けた芭蕉。そのお返しに、藤原定家の「深山には冬も鳴くらんほととぎす玉散る雪を卯の花と見て」を下地とし、古益の家紋であった「牡丹」とかけて芭蕉が詠んだ歌。同じ素養を持つ同窓生だからこそわかりあえるという空気と、お互いに対する「有難い」という気持ちがあったであろうことを想像すれば、「技巧的」な中にある「素朴なあたたかさ」や「歌の持つ純粋な美しさ」もより素直に感じられるような気がします。
本はこころのごはんです。
まだまだ寒い日が続きますが、ぜひお近くのほんだらけにお越しください。寒さの中、藁で雪囲いをして咲く牡丹のように、本のソムリエとして、「技術」と「思い」、その両方を持って、お客様に素敵な本をお届けできればと思います。ほんだらけは、「あなたの街の古本屋」です。ご来店をお待ちしております。