奈良時代から続く、秋の七草のルーツを紐解けば…?

まだまだ暑さが続きますが、時折、秋の気配を感じます。9月を彩る草木の花として、秋の七草が有名です。ただ、秋の七草は少し地味。七つの花すべての名前を諳んじることが出来る人は、なかなかいないかもしれません。

秋の七草の起源は、万葉集にも撰ばれた山上憶良の「秋野の花を詠む歌二首」と言われています。

「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり) かき数ふれば 七種の花」
「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」

秋の野原に咲いている花を指折り数えると、七種類の花があるよ、という、素朴な歌です。特に2首目は、花の名前を連ねただけのようにも感じます。しかし、この歌を詠んだ山上憶良の人となりや、とある言葉たちに対しての知識を紐解けば、その印象は少し変わるようです。

山上憶良は、皇族から分家して臣下になった一族出身で、由緒はあるもののあまり出世はできないお家柄でした。しかし遣唐使として唐にわたり、帰国してからは聖武天皇の教育係も務めるほど優秀な人でした。その出自からか、貴族でありながら家族の愛や社会的なやさしさ、身分が低いものの貧困や素朴さに目を向ける、当時としては珍しい歌人でした。

文学者の鈴木武晴は、「指折り(およびおり)」という言い方は、子供と一緒に数えたり、数を数えたりする行為を表しているだろうと分析しています。手のことを「おてて」というような幼児語が、奈良時代にもあったのですね。

この歌が詠まれた当時、山上憶良は筑前国の国主で、齢既に71歳。国守には、治める土地の巡察という任務があります。それらを踏まえて、歌を読んでみましょう。

その地方でとても位が高いお爺さんが、巡察中、筑紫の秋の野原を通りがかります(なんだか、諸国漫遊する水戸黄門のミニ版みたいですね)。 野遊びをしていた子どもたちを呼び集め、秋の野に咲く可憐な七草を、一緒に探して教えます。リズムに合わせて花の名前をひとつひとつ言いながら、子どもたちと一緒に、ひとつひとつ指を折る。花の名前を五つ数えたところで、片方の手がすべて閉じる。そこですぐに「また」と言って、別の手に変えて六つ目、七つ目の花を数える。

(あきののに さきたるはなを およびおり かきかぞふれば ななくさのはな)

(はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし またふじばかま あさがおのはな)

「五七五七七」「五七七五七七」という調べ(リズム)に合わせ、しわしわの優しいお爺さんの手と、子どもたちの紅葉のような小さなおててが、開いたり閉じたりする。秋の野に広がる、なんともおおらかで和やかな、可愛らしい風景です。

秋の花には、秋桜、菊、葉鶏頭、彼岸花、白粉花など、色鮮やかで華やかなものがたくさんあります。著名な作家陣や植物学者がそれらを挙げて、「新秋の七草」を提唱することもありましたが、定着することはほとんどありませんでした。

奈良時代から引き継がれてきた秋の七草は、野に咲く花で、花屋さんに並ぶようなものは少なく、野遊びをする環境が失われゆく現在、身近なものではなくなりました。それでも、小さくて、可憐で、ひそやかで、素朴なものを愛でる日本人の気質に合ったからこそ、秋の七草は静かに奈良時代から引き継がれてきたのでしょう。

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